細谷和海(67回)

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2022年8月25日

 

                             環境委員 第67回卒

細谷和海

河川の氾濫と生物多様性保全

 

日本列島は温帯モンスーン気候に属し,四季の移ろいにともない雨季と乾季の違いが際立っている.そのような環境下にあって淡水魚はどのように河川環境に適応しているのであろうか.

   

図1 自然河川と人工化された河川の比較(高橋, 2017).

 

自然河川とは

一般に,河川といえば川の本流だけをイメージしやすいが,人の手が加わらない自然河川であればさまざまな附属水帯があり,その構成は多様である.河川は蛇行し,梅雨時や台風シーズンには氾濫して沼を潤い,一時的な湿地すなわち後背湿地を形成する(図1).ところが現在では沼や後背湿地はことごとく水田に,市街地では完全に埋め立てられて宅地や工場などに変えられてしまっている.

 

無視されてきた左右の関係

自然河川における水の動きと生物群集の関係について,河川生態学では2つの考え方がある(図2).河川連続体説では,上流から下流に栄養塩が常時もたらされるので,下流域は豊かなバイオマス(生物量)を生産できると説明している.一方,洪水パルス説では,河川が氾濫することに合わせて,淡水魚が一斉に湿地や水田に移動し繁殖すると説明している.いつも河川の本流にいるナマズが梅雨時に水田に向かって移動するのはその典型である(図3).このような回遊経路は,河川を起点に水田に向かういわば水系ネットワークに相当し,淡水魚の生活史が保障される場合,私はこのような回遊を魚類学的水循環と呼んでいる(細谷, 2009).

図2 自然河川における水の動きとそれが生物群集に与える2つの考え方.下流域の淡水魚にとって河川の上下の関係(河川連続体説)に加え,

左右の関係(洪水パルス説)も重要である(細谷, 2017).

図3 水田と河川をつなぐ水系ネットワーク.ナマズの生活史から魚類学的水循環が成立していることが分かる(細谷, 2009)

このように,淡水魚をはじめとする河川の生物多様性は,上流・下流の関係に加え,河川の氾濫がパルスとなって形成される左右の関係によって維持されてきた.ところが,近年の河川工学は治水を目的に高い堤防を構築し,河川の氾濫を河川内で治めることに注力してきた.たとえ取水堰によって農地に河川水が供給されたとしても,水田が圃場整備されると水路は三面張りとなり(図1),田面と水路の落差が1mにも及ぶので魚類学的水循環は遮断されてしまう.このように,今まで日本の多くの河川ではいわば河川の上下関係だけが重視され,左右の関係は無視されてきた.

 

流域治水への発想の転換

人工的な景観ばかりの河川を見渡せば,私たちはあまりにも目先の利害のために河川を改造しすぎたように思わざるを得ない.川の姿は人工的にゆがめられ,本来水浸しになるはずの氾濫原や湿地も多くが乾いた土地に変えられている.その結果,水辺の生態系はことごとく病んでしまっている.これに対して,洪水を無理やり押し込めるために高い堤防を構築しようとする従来の方法を,現代のオランダ人は「風車に突進するドン・キホーテ」に例えている.なぜなら,自身の能力の限界も知らないままとりつかれたように強大な敵に向かっているように見えるからだと説明する.確かに,大雨による洪水や台風などの自然現象の前に人間はあまりにもひ弱である.そこで治水工事に対する近年の発想として,オランダ人は“Room for the river” すなわち「川のための空き部屋」対策を目標にしている.言いかえれば,氾濫するスペースをあえて造成し,人にほかの安全なところへ移住してもらおうとする施策に転換している.高い堤防がいかに脆く,想定以上の大雨が降れば,かえってより壊滅的な被害を招くことへの反省から来たものである.

近年,世界各地で河川が氾濫して大きな被害をもたらしている.とりわけ,わが国は世界的に見ても災害リスクが最も高い国の一つである.国土交通省はダムや堤防構築による一辺倒の治水の施策を改め,河川の流域全体に関わるあらゆる関係者が協働して水災害対策を行う方針に転換している(図4).それには遊水地など氾濫スペースをあえて造成し,下流域での急激な氾濫を回避する計画が盛り込まれている.この方針は流域治水プロジェクトとしてすでに国から地方の行政府に伝えられ,各地で実施されつつある.

図4 流域治水の考え方(国土交通省).

 

環境省も「生物多様性国家戦略 2012-2020」において, 防災・減災機能の観点から生態系の保全や再生が重要であるとしている.その基盤となるのがEcosystem-based Disaster Risk Reduction,略してEco-DRRで,文字通り生態系を活用した防災・減災に関する考え方である(環境省, 2016).そこでも水田は生態系サービスとして洪水時の水の貯留場所を提供するとともに,生物多様性の保全にも貢献するとされている.

かすみ提に学ぶ

河川の流域治水への方針転換とEco-DRRの展開により,河川の左右の関係が評価され,ようやく河川本来の姿に回帰する兆しが見えてきた.このことは,水を介してしか移動できない淡水魚にとって都合がよく,魚類学的水循環の復活にもつながるだろう.

           

図5 かすみ堤の役割.堤防の一部が切れていて,洪水が起こるとあえて河川の両側に導水して水量を調整する.

洪水が止むと,はんらん水は速やかに河川へ戻る(細谷, 原図).

洪水時のあふれた河川水を水田に誘導するシステムとして,古くから存在するかすみ堤が見直されている.かすみ提とは,あらかじめ間に切れ目をいれた不連続の堤防のことである(図5).かすみ堤は河川の暴発的な氾濫を抑制し,速やかな水引きを促すなど先人の知恵の賜物といえる.切れ目があるので,水田と河川はネットワークでつながり,それを通じて淡水魚の回遊経路は確保される.

都市河川を考える

流域治水プロジェクトでは,洪水リスクの高い居住地をリスクの低い場所へ移転することを勧めている(図4).兒井(2021)は東京のいわゆる0m地帯をリスクの高い居住地と見なし,そこを湿原に変え,住民を周辺の増えすぎた空き家に転居させるといいう,大胆な提案をしている.農村地帯であればEco-DRRを展開できるだろうが,がちがちに両脇をコンクリートで固められた都市河川では,にわかに氾濫するスペースを造成することは現実的ではない.淡水魚の繁殖場を造成するのであるならば,比較的広い河川敷が備わっている大阪府の淀川の事例が示すように,東京都の場合,江戸川や多摩川でも人工ワンドを造成することでいくぶん代替できるだろう.

 

引用文献

細谷和海.2009.ほ場整備事業がもたらす水田生態系に危機.高橋清孝 (編)「田園の魚を取り戻せ!」,6-14,恒星社厚生閣,東京.

細谷和海.2017.魚類学的保全単位としての超個体群―遺伝的多様性を維持してきた淡水魚の戦略に学ぶ―. 高橋清孝 (編)「よみがえる魚たち」,93-100,恒星社厚生閣,東京.

環境省.2016. 生態系を活用した防災・減災に関する考え方. https://www.env.go.jp/content/900489546. Accessed 24 Aug 2022.

兒井正臣. 2021. 自然災害と大移住―前代未聞の防災プラン. 幻冬舎, 173 pp.

高橋清孝.2017.開発による生息環境の破壊.高橋清孝 (編)「よみがえる魚たち」,12-15,恒星社厚生閣,東京.

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